フランスに留学中の藤山諒子さん

在校生
2023.10.11

自己紹介

鹿児島県姶良市出身。2020年法文学部人文学科入学。
特技は執筆(鹿大infoに作品載っているので良かったらぜひ笑)。
専攻は哲学ですが、人類学も好きです。2022年8月にタイ研修に参加し、2023年9月からフランスに留学中。

留学を希望した理由

初めて海外に憧れを抱いたのは高校時代。修学旅行で訪れたアメリカで、グリフィス展望台に息を大きく吸い、夕暮れに沈みゆくハリウッドの大きな街を見ました。「世界って広い…。」と自分のちっぽけさや無力感を抱きながらも、果てなく伸ばし得る自分の可能性をどこかに感じ取ってもいました。「いろいろな人がいるんだな〜」「色々な言語があるんだな〜」と、そんな風に思っていました。

18の冬。ぬくぬくと過ごしていた私の人生にとって大きな転機となったのは、末期癌だった祖父の死でした。大学受験の二ヶ月前でした。呼吸器を持ち、その嗄れた唇の震えを目に映しながら、人間の死という何にも超え難い尊厳をみた夜でした。旧帝大を志していた私でしたが、その日を境に本当に空ばかり見ていたような気がします。テキストを開いても「この問題を解くことになんの意味があるのだろう。」とすっかり意気消沈、心にあったのものはただひたすら、「人はどうして生きるのだろう。」という問いでした。
いつか終える生命と知りながら、私たちはどうしてそれを紡いでいくのか。どう生きることが最も人間にとって幸福なのか、人間のあるべき姿とは。どう生きることが正解で、それでいて自分はどう生きていくのか。それくらい、大切な人の死は大きな影響を持っていました。そしてそうした思考の中で、若い私は何の術も持たない故にただただ独り深いところへ堕ちていき、何もかもを見失っていきました。今思えば、この頃における低迷が、人間という存在について探究する学問である哲学や人類学への駆動になっています。

晴れない心と怠惰な姿勢に苦しみながら通った大学1〜2年。最も鮮烈な留学への導きを得たのは、そうした問いを抱えたままに迎えた人類学の講義でした。赤や黄色に満ちたゴージャスな写真と共に響く先生の声をよく覚えています。「ジャワ島の人々はこのように人の死を盛大に祝うのです。…」
私の心にぞわぞわと広がる衝撃。「死を祝う?あれほど悲しみ苦しめられたのに?どうして同じ人間なのにそれほど違うの?何がそうさせるの?そうなると、私は何に悲しみ暮れていたのか?人間の在り方って、思っているよりもっとずっとずっと広いところに開かれているのかもしれない…。」そして、「もっと人間の在り方を知りたい!未知なる価値観や文化の広がる世界に飛び込んで、人間という存在について考えていきたい!」と思いました。高校時代の煌めきの名残からいつか留学したいなとぼんやりとは思っていましたが、その意志が絶えなく湧くようになったのはこの感情が契機でした。

そうして大学3年の夏にタイ研修に参加しました。たらたらと怠惰に過ごしていた日々を振り返った時に「自分はこの大学生活で何を為したのだろう。胸を張って言えることが何にもない。」と思い、くよくよ生きている自分を変えたいという気持ちに襲われたのです。
それなりの覚悟を以て飛び込むように参加した研修。人類学者の先生の指導のもと、色々な面でビシバシ鍛えられた約10日間…(笑)。知らない匂いがして、知らない空があり、踏み出さなければ決して触れ得なかった出会いや景色、そして何より多くの気づきを得ました。限界や限定を超えるという意味において自分という存在の輪郭がじわりと滲むのを感じ、初めて「成長」という言葉の意味を得たような気がします。三ヶ月前に大学の階段から滑り落ち腰の骨を二箇所折るという大怪我をし一度は断念しかけましたが(雨の日の階段は本当に気を助けてください)、参加して本当に良かったです。随分と見える世界が変わっていくので、海外研修、オススメです(笑)。

フランス留学を決意したのもその夏。タイ研修を経てより強く留学したいと思うようになっていました。その時既に大学3年だったので、正直この決断をするにはかなり勇気が要りました。でもそれが毎晩心に向き合って出た決断だったので、一度きりの人生をどう生きるべきかと問うた時に、やはり心の赴く方へ強く踏み出すべきだという気持ちがありました。学生係と留学生係を行き来して待ち受ける苦難をしかと感じながらいましたが、自分で決めた自分だけの道を進んでいるという感覚はかつてにないものでした。沢山相談に乗ってくれた学生・留学生係の方々や助言をしてくれた先生には本当に感謝しています。
情熱はあっても最もあるべきものがなかったので(お金)、JASSOの奨学金が降りないこともあるとのこと、VISAの申請にそれなりの費用がかかることを考慮して、3年の後期は休学し貯金することを決めました。なんだかんだ長い旅となった温泉郷でのリゾートバイト。別府、箱根、長野の信濃大町に赴き、住み込みで働きました(郷土料理を出したりベルガールをしたり料理の仕込みをしたり…)。この半年間もかなり良い経験です。温かく迎え入れてくれた地元の方々や出会った友達、出会った景色。本当に感謝しているし、生涯の思い出や繋がりができました。

貯金を終え帰ってきた留学前の半年間は復学し、卒業単位を取り終えました。こてこての時間軸で進んでいたので、ふとたまに孤独感や今日までの自分の決断の重さを感じることもありました。その度に思いをぶつけてきたノートを見返すことで心を奮い立たせ、あるいは同じように留学を志している友人たちと語らい、自分の在るべき方向を吟味しながら打ち立てて進みました。何かを為そうとする時、それが自分の力量で測れないものであるならば尚更、同志というのは本当に心強く、支えになるものだと強く思います。
生きていると、自分の立っているところというのは悲しくも容易く見失ってしまうものなのかもしれません。だからこそ、その中に浸かってしまうことなく距離を以て俯瞰することが一層大切になると思います。何を目指し、どこへ向かい、そのために今自分は何をすべきか。そうして生活に立ち返ることができれば、確かな道がきっと出来ていくはずです。

「どうしてフランスなの?」と聞かれることが屡々あったのですが、これは最も悩ましい質問…(笑)。というのも私はとにかく異なる言語、文化のある世界に飛び込むことが本望だったので、正直国はどこでも良かったです。強いて言えば、留学の決断をしたのが3年の夏だったので、そこから条件を満たしている大学を探してフランスに辿り着いた感じでした。けれど混沌の中から何か一つが自分の手に落ちるというのはやはり縁のあることで、私はフランスに来るべきだったのだと今は強くそう感じています。

留学中の生活

現地に立ってまず感じたものは、底知れぬ開放感でした。それは「誰も私のことを知らない!」「何でもできて自由だ!」みたいな野蛮なものではなくて、何者にも叶わない自分というか、今日からこの街でどんな経験や出会いがあるのだろうという初めての駆動でもありました。遥々来たのだなあとしんみりもしましたが、寮の手配やVISAの申請など留学準備が大変だったので、とにかく早く落ち着きたかったです。

大学では付属の語学学校に通っています。授業は週3日で、8時半から16時くらいまで講義があります。寮から徒歩10分もかからないのでトラムに乗るか歩くかして通っています。最近は寒くなってきたので朝の散歩が気持ち良いです。講義はすべてフランス語です。何を言っているのかさっぱり分からないことも多いのですが、少しずつ聞き取れるようになってきました(それでもリスニングの講義は鬼畜です)。みな積極的に質問したり意見を言ったりするので、間違うことを恥じることなく授業に臨めます。ロシア、スベイン、アフガニスタン、台湾、ウクライナ、中国、イランなど、様々な国から来ているクラスメイトたち。様々な背景を持って、様々な目標に向かっています。国の持つステレオタイプを潜った先にあるのはその人の個性や人生。「本当の誰か」に触れながら時間を共にできることが本当に刺激的です。理解し合う姿勢を以て眼前にいるその人と向き合えば、異なる言語や文化は容易くどこかへ飛んでいきます。私がいて、そしてただその人がいる。だから目を合わせて、たわいのないことで笑ったり支え合ったりする。どんな時もそういう風に人と関わっていきたいと常々思います。

学生運動を画期的に起こしている日本語ペラペラのフランス人学生や、アニメが大好きな女の子、寮の共同キッチンで出会った南アフリカのメンズたちなどなど、沢山の面白い友達もできました。街中での会話やランドリーでの若者の会合、友人とのチャットでのやり取りなど、講義以外でもフランス語を使う機会が多くあります。英語を使って話すこともあり、総じて語学三昧です。情報量が多すぎて上手く処理できているのか分からないのですが、フランス語で日記をつけたり、復習を欠かさず行ったりするなど、自分なりの仕方で語学に勤しんでいます。フランス人の友達に誘われて日本文学の講義に潜るなんてこともします。日本の見え方というか、異なる立場から眺めることはなかなかなかったので新鮮です。

楽しみなことは、学校終わりにふらっと街へ出かけること。とにかく街が綺麗すぎる…。私の滞在しているボルドーは古都の景観が保護されているので、どこへ行っても歴史というか雰囲気を感じます。トラムがボルドー全体を走っているので(定期を買えばトラムもバスも船も乗り放題)、いつも飛び乗ってウキウキして出かけます。カヌレの店、ピザの店、タコスの店…、とにかく美味しいもので溢れています。本屋には本がずらっと並び、類を見ないほどの宝庫です。面白そうな哲学書があったのですが難しすぎて読めそうになかったのでお預けにしました。広場では切手や古いレター、ポスターなどが空の下で売られており、くすみさえも鮮やかで目に入るすべてのものが輝いて見えます。ヨーロッパならではの石垣に可愛らしいお店が沢山潜んでいるので、歩くだけでも楽しいです。休日は湖へ向かって探索したり、公園で日記を書いてみたり、買い物へ出かけたり。せっかくヨーロッパにいるので、バカンスにはもっと足を伸ばして色々な世界を見に行きたいです。ドイツやイギリスには共に支え合ってきた心友がいるので、ヨーロッパのどこかで感動の再会もしたい…。
生活において私が最も楽しんでいるのは料理。スーパーに売っているバゲットが本当に美味しいので、ストックが切れる前にいつも買いに出ます。チョコレートソースをつけたり、ピザ風にアレンジしたり。毎週の日課はトマトソースを作ること。野菜が量り売りなので、新鮮な野菜やフルーツを安く手に入れることができます。最近はグレープフルーツにハマり、夜の深まる時間帯にチルい音楽をかけながらカットしてつまんでいます。カレーライスやうどん、餃子など懐かしい味が恋しくなった時は日本人の留学生同士で団結し、割り勘して作ります。ボルドーにはアジアンスーパーが意外とあるので、高価ですが日本の調味料やお菓子、飲み物などを入手することは可能です。この前、奮発してポン酢とマヨネーズを買いました…。唐揚げに絡めると美味い…。

私の部屋は三階の中庭側にあるので窓にはいつも一面の木々が広がっています。風に揺れ太陽に照らされる葉っぱを見ていると心が和み、執筆や思索が捗ります。夜は暖色の街灯に照らされて本当に綺麗です。多少の無理はしてみるけれど、変に背伸びをすることなく、ただ生活をする。学ぶ喜びや生きている幸せを忘れずに過ごしていきたいです。

今後に向けて(ないしは高校生・在校生へのメッセージ)

帰国後は、卒論を書きながら大学院へ進む勉強に打ち込む予定です。大きく動かされるような出会いや変化のきっかけは環境を問わずいつどこで出逢うか分からないものなので、強く決めつけることなく、またいつも新しいことや未知なることに身を晒しながらしっかり考えて進んでいけたらと思います。沢山のことに触れ、沢山のことを吸収し、その上で心に思うことを成していきたいです。

思えば本当に沢山の苦労がありました。手続きは大変だし、お金はないし、「本当に行けるのか?」みたいな不安が常に付き纏っていました。ピンチは絶えず、落ち込んだり自分が嫌になったりするような日も多くありました。特にJASSOの奨学金が降りないと分かった時は、本当に葛藤しました。今は退職された畝田谷先生の研究室にしっぽりと座り込み、紙に色々書き出しながら考えた夕方が懐かしいです…。それでもせめて情熱だけは離さず、信じるものだけを信じて進んできました。そうして今ここに来て、本当に本当に良かったです。

人生において定められた生き方や在り方など永遠にないのだと思います。どう生きようにも、何を成そうにも、常にその手綱は自分の手元にあります。葛藤や不安があっても、決断と行動を以て未来は変えていくことができるし、もっと言えば生きるということは本来そのようにして創っていくべきものです。
だからいつも自分の気持ちに向き合って、心の踊る方へ、そうしたいと願う方へ強く進んで欲しいです。何にも代え難い経験や知見が真なる財産であると思うし、そう言ったものを大切に仕舞いながら体得していくことの感動はこの上ないと思います。そしてまた、挑戦する人にしか見えない景色があります。もし行動や決断を躊躇っているなら、自分らしく居れていないような感覚がどこかにあって、それが自分を苦しめているなら、ぜひ胸を張って踏み出してみてください。夢が夢でなくなる瞬間が訪れること間違いなしです。私もこの先ずっと続いていく長い旅の途中にいます。沢山の苦労や葛藤、そして感動や成長に巡り合いながら、まだまだ求道していこうと思います!